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札幌地方裁判所 昭和51年(ワ)210号 判決

原告 O・K(仮名)

被告 国

代理人 小林忠彦 ほか二名

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事  実〈省略〉

理由

一  原告の次女であるAが昭和四七年三月当時、甲商業一学年に在学していたこと、E校長が同月二三日Aに対し、本件原級留置とする旨決定し、翌二四日Aに対し、その旨通知したことは、当事者間に争いがない。

原告の夫であるBが同年四月一七日室蘭支局のC補佐に対し、Aが教科の成績上の事由によらずして、本件原級留置を受けた旨訴えて人権侵犯事件の申告をしたこと、C補佐が室蘭支局の人権相談担当者として人権侵犯事件につき調査の職務を行つていたこと、C補佐が原告及びBの事情聴取をし、甲商業に対し、本件原級留置の理由について照会し、その回答を文書で取寄せたこと、C補佐が、A、E校長、F教諭、G教諭及びH教諭のいずれからも直接面接による事情聴取をしなかつたこと、C補佐がB及び原告に対し、本件原級留置の取消訴訟の提起及びこれについて弁護士に依頼することを助言しなかつたこと、室蘭支局長が同月二七日本件原級留置について人権侵犯の事実が認められない旨の本件決定をしたことは、また当事者間に争いがない。

二  右一の争いのない事実に、<証拠略>を総合すると次の事実が認められる。

1  原告とその夫であるBは、Aの本件原級留置が甲商業の終業式の前日である昭和四七年三月二三日に決定され、翌二四日Aに通知されたことにつき、右決定及び通知が、それまでの間、学校教師側からの家庭訪問などによる注意警告がなんらなされなかつたのに突然になされたこと、教科の成績につき、Aよりも下位であると生徒ら間において認められていた者が原級留置にならなかつたこと、Aの学級担任のF教諭が前任校においても、自己担任の学級中から、一挙一〇名の原級留置者を出したことのある者であるところ、今回においても、一学年三学級につき、計一〇名が原級留置処分を受けたのであるが、そのうち右F担任の学級からの原級留置処分を受けた者がAら七名に及んでいることなどから、Aが教科の成績について同人より下位にある者と誤認されて原級留置処分を受けたのではないか、又はAの右教科の成績上の理由によらずに、その素行上の事由により、本件原級留置を受けたのではないかとの不審を抱き、同月二五日以降数回にわたつて甲商業を訪れ、E校長らに対し、本件原級留置の理由を質し、E校長らから、本件原級留置の理由が単にAの現代国語及び英語Aの成績不振による単位不認定のためであり、なんらその素行上の事由によるものではない旨の説明を受けたが、原告らは、なおも本件原級留置の理由が他にあるものと考えて、右の説明に納得できなかつた。

2  そこで、Bは、昭和四七年四月一七日、室蘭支局を訪れ、同支局の人権相談担当者であつたC補佐に対し、本件原級留置につき、これが事前の通知なく突然言い渡されたこと、成績不振であるとされた現代国語の教科担任のG教諭が原告に対しては、「落第させるほどの成績ではない。」旨述べたことがあつたこと、Aの学級担任のF教諭が原告に対しては、本件原級留置の理由がAの素行上の問題、すなわちAがラーメン屋でアルバイトをしたり、Aは、父親が一寸注意すると膨れたり、また外泊するので、父親が困つていることが本件原級留置の理由である旨述べたことがあつたことから、Bとしては、Aの成績が不振なため、本件原級留置とされたものとは考えられず、本件原級留置の理由に納得できない点があるので調査して欲しい旨を述べてその調査及び処理を訴えて申告した。

3  Bから右の申告を受けたC補佐は、右同日中に、北海道教育庁胆振教育局の指導主事に対し、本件原級留置の理由について電話で照会したところ、同主事から、同教育局において甲商業から本件原級留置などについての報告を受けているが、その報告によると、Aの本件原級留置の理由は、現代国語と英語Aの成績が不振なためであると報告されており、Aの素行上の問題が原因となつているとの報告は受けていない旨の回答を得た。

しかし、C補佐は、Bの前記申告内容からすると、本件原級留置についてAの前記のような素行が原因となつている可能性もあり、もしそうであるとすれば、本件原級留置が不自然又は不適当であるとも考えられたので、Bの前記申告内容と胆振教育局からの前記回答などを資料として、室蘭支局長D(以下「D支局長」という。)との間で、本件人権侵犯事件についての調査の方針などを検討した結果、主として本件原級留置の理由について調査することとし、そこで甲商業関係者に対する調査として、とりあえずD支局長名義の甲商業E校長宛の文書をもつて、同校長、Aの学級担任教諭、前記資料から本件原級留置の原因となつたとされている現代国語及び英語Aの担当教諭に対し、それぞれ甲商業における原級留置処分の基準、本件原級留置の理由、本件原級留置についての原告らとの話し合いの経緯、その内容などを照会することとし、なお、これに対する回答内容いかんによつては、右の甲商業関係者から、直接事情聴取するか否かを検討することとし、右照会をした。

4  右3の照会を受けた甲商業では、E校長において、関係者からの従前の説明、提出資料などのほか、新たに資料の提出を受けるなどして、これらに基づいて文書による回答をし、右文書は、昭和四七年四月二六日、室蘭支局に送付されたが、その内容は、大略左記のとおりである。

(一)  甲商業における学習成績の評定、単位の認定及び原級留置処分の各基準などについて

(1) 各履修科目の学習成績の評定は、五段階(五、四、三、二一)で記入し、そのうち評定「一」に相当する者とは、その科目の目標達成について特に不充分の者とする。

(2) 各履修科目の単位の認定は、その成績の評定が「二」以上であり、かつ欠席時数が出席すべき時数の二〇パーセント以内のときとする。

(3) 但し、その年度の履修科目中、学習成績が評定「一」とされて単位不認定の科目がある者については、原級留置とし、右の(2)の規定にかかわらず、その年度の各履修科目の単位の認定は、すべて不認定とする。

(二)  Aの本件原級留置の理由について

本件原級留置の理由は、Aの甲商業における一学年度の履修科目である現代国語及び英語Aの成績がいずれも評定「一」とされたためであつて、Aの素行上の問題が原級留置の理由ではない。

(三)  本件原級留置についての原告らと甲商業の関係者との話し合いの経緯などについて

Aを本件原級留置とするについては、昭和四七年三月二三日の甲商業における成績会議において決定し、翌二四日Aにその旨通知した。

更に翌二五日、E校長は、原級留置処分となつた生徒らの父母に対する説明会において、原告に対し、Aの現代国語及び英語Aの成績が不振で単位不認定となつたため、Aを原級留置とした旨伝え、Aの学級担任のF教諭及び現代国語の教科担当のG教諭から原告に対し、右の具体的な説明をした。

これに対し、原告らは、その後同月末ころから、本件原級留置の不当性を訴えているが、その内容は、F教諭がAを不良扱いして本件原級留置にしたものであること、G教諭が原告に対し、原級留置処分とするほどの成績ではない旨を述べていること、Aの中学校当時の教諭、知り合いの高校教諭がAの成績で原級留置処分とすることは不当である旨述べていることなどから、本件原級留置が不当であると訴えているのであるが、しかし、右の前二者の事実はない。

5  他方、C補佐は、甲商業から右4の回答がなされるまでの間に、本件原級留置についてのE校長らからの説明、その後の経緯などについて、原告から直接事情聴取したが、その内容は、Bの前記の申告内容とほぼ同趣旨であつた。

6  C補佐及びD支局長は、前記2ないし5の調査結果などに基づき、本件原級留置による人権侵犯の事実の有無について検討した結果、甲商業からの前記回答内容が、同商業における原級留置処分の基準、本件原級留置の理由その他本件原級留置の経緯などについて詳細にわたつて回答しており、その内容についても信憑性が高いこと、右の回答により認められる甲商業における学習成績の評定、単位の認定、原級留置処分の基準などについては、必ずしも相当性を欠くものとは認められないこと、そして、Aの現代国語及び英語Aの成績が、右の基準によると、単位を認定することができず、原級留置処分とせざるをえないこと、他方、本件原級留置を決定するについてAの素行が問題とされたことはなかつたこと、以上のことと、右の回答が前記のように詳細にわたつて回答され、更にA及び甲商業関係者らに面接して事情聴取しても、本件原級留置については、右の回答以上の新たな事実を得る可能性がないと考えられることなどから、本件原級留置が、Aの現代国語及び英語Aの成績不振を理由とするものであつて、Aの素行上の問題を理由とするものではなく、そして、右のことを理由とする本件原級留置は、必ずしも不当とは認められないと判断し、昭和四七年四月二七日、本件原級留置について人権侵犯の事実は認められない旨の本件決定をし、そのころ、Bにその旨通知した。

7  Bと原告は、本件決定の通知を受けた後である昭和四七年五月二日、本件決定などについて説明を求めるため、室蘭支局を訪れ、その際、C補佐が前記6の本件決定をするに至つた経緯、すなわち、本件原級留置がAの成績不振を理由とするものであり、これについては必ずしも不当であるとは認められないことを説明したが、Bと原告は、この説明に納得しなかつた。

以上の事実が認められ、<証拠略>中、右認定に反する部分は、右認定事実に照らし採用できず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

三1  法務省設置法(昭和二二年法律第一九三号)二条は、人権の擁護に関する事項を法務省の任務と定め、同一一条は、これを人権擁護局の事務とするとともに、同一三条の二は、これを法務局及び地方法務局並びにその支局又は出張所に分掌させる旨定め、人権侵犯事件処理規程(昭和四九年法務省権調訓九二号により廃止される以前のもの。)は、同法の規定により法務局及び地方法務局(なお、法務局及び地方法務局組織規程((昭和四九年法務省令二九号により改正される以前の法務府令昭和二四年第三号))二条三項、一〇条の二、一三条三項により、法務局又は地方法務局の支局が取扱う場合も含む。以下同じ。)において行う人権侵犯事件の処理は、人権侵犯事件の調査を、申告、通報、情報により開始するものとし、その結果、法務局長又は地方法務局長が人権侵犯の事実があると認めるときは、法務局長又は地方法務局長において、告発、侵犯者に対する勧告、官公署などに対する通告、侵犯者らに対する説示、被害者に対する援助、関係者に対する排除措置をとるなどして事案に応じた適切な処置を講じるものとし、他方、調査の結果により人権侵犯の事実が認められないときは、法務局長又は地方法務局長において、非該当の決定をするものとする旨定めている。

ところで、右のように法務局長又は地方法務局長が人権侵犯の事実があると認めるときは、事案に応じた適切な処置を講じるものとしているが、これは、裁判所など司法機関のように基本的人権を侵害された者のために、法的にその救済を求める権利の存否を認定し、強権力によつてその侵害を排除するのと異なり、具体的事件の調査などを通じて事案に応じた人権思想の啓発活動を行うことにより、人権擁護を図ることを目的としているものというべきである。そして、人権侵犯事件の調査は、右目的に従い、人権侵犯の疑いのある事件について、人権侵犯の事実の有無を判断するための資料を収集することを目的とするものというべきであるが、具体的な事件の性格及び態様、関係者の地位、年令及び情況などの諸般の事情に応じて、その調査の方法及び範囲が異なつてくるものであるから、人権侵犯事件の調査の方法及び範囲については、調査を行う法務局又は地方法務局の自由な裁量に委ねられているものと解するのが相当である。しかし、そのような調査権限を行使しないことが著しく合理性を欠き、社会通念上相当でないものと認められるとき、殊に、人権侵犯の疑いのある事実を知りながら、ことさら調査を回避放置するとか、あるいは事案の解明上当然なすべきものと考えられる程度の調査を懈怠したような場合には、少なくとも事件の申告者においては、当該公務員による適切な調査及びそれによる事件の解決を求めている地位に立ち、また人権侵犯を受けたとして申告されている者においても、右申告を契機に当該公務員による適切な調査及びそれによる事件が解決される地位に立つものであるから、これらの者に対する利益を侵害するに至るものというべく、このような場合には、その調査権限の不行使は違法であるというべきである。ただし、右の場合において、右申告者及び人権侵犯を受けたとして申告されている者以外の者に対する関係においては、その者が右申告者らと実質上利害を共通にし、かつ右申告者による申告が右申告者ら以外の者の同様な申告をも包含するとみられるべき特段の事情の存する場合には、右と同様に考えられるが、それ以外の場合には、右のごとき法的利益がないといわざるをえないから、たとい右のような調査権限の不行使があつても、それによる右権利ないし利益の侵害は存せず、不法行為の成立の余地はないものというべきである。

2  以下、右の観点から、原告の主張について検討する。

(一)  原告は、C補佐としては、少なくとも本件原級留置の被処分者であるA、甲商業における本件原級留置処分関係者らから、直接事情を聴取すべきであつた旨主張する。

C補佐がA及び甲商業関係者らから、直接事情を聴取しなかつたことは、前記二のとおりであるが、しかしながら、本件原級留置に関する調査当時において、人権侵犯の疑いがあるとされていたのは、Aの教科の成績不振及び素行問題がそれぞれ存しないのに本件原級留置がなされたとの点にあつたこと、本件原級留置後の甲商業関係者らからA側に対する本件原級留置の理由の説明又はその話し合いにおいて、Aはほとんど直接関与せず、Aの両親であるBと原告がこれに関与していたこと、Aは、当時甲商業一学年に在学する未成年者であつたこと、他方、室蘭支局の本件原級留置に関する調査の方針として、甲商業関係者らから本件原級留置の理由などについて直接説明を受けた原告から直接事情を聴取するとともに、甲商業関係者に対しては、とりあえず文書による照会をし、その回答いかんによつては、右の関係者らから直接事情を聴取することも検討していたところ、右の照会を受けた甲商業では、E校長において、右の関係者からの従前の説明、提出資料などのほか、新たに資料の提出を受けるなどして、これらに基づいて前記回答をし、これを受けたC補佐は、右の回答などに基づき、本件原級留置について人権侵犯の事実が認められないものと判断したのであつて(なお、この判断について違法が認められないことは、後記(三)に説示するとおりである。)、A及び甲商業関係者らから直接事情を聴取する必要性がなくなつたものということができるから、本件において、C補佐がA及び甲商業関係者らから、直接事情を聴取しなかつたことをもつて、直ちにこれが著しく合理性を欠き、社会通念上相当でないものと認めることはできず、原告の前記主張は採用することができない。

(二)  原告は、C補佐としては、本件原級留置がAの成績以外の事由に基づいてなされたことの存否及びどのような手続に基づいて行われたかの点にまでわたつて調査すべきであつた旨主張する。

しかし、原告の主張するC補佐が本件原級留置についてAの成績以外の事由に基づいてなされたことの存否を調査しなかつた点については、C補佐が甲商業関係者に対し本件原級留置の理由につき、文書による照会をし、甲商業から、本件原級留置の理由がAの成績不振によるものであつて、素行などによるものではない旨の回答を受けていることは、前記二のとおりであつて、この点に関する原告の右主張は理由がない。

次に、原告の主張するC補佐がどのような手続に基づいて本件原級留置が行われたかにまでわたつて調査しなかつた点については、その主張する手続という内容が必ずしも明確ではないものの、仮にその主張する手続という内容が原級留置処分決定手続自体の適正さのほか、事前の警告、補習授業の有無、仮進学制度の有無などのいわゆる学校当局の教務措置を指すものとすると、右の手続面については、C補佐においてほとんど調査しなかつたことは前記二のとおりであるけれども(なお、<証拠略>によれば、甲商業から室蘭支局に対する前記回答中には、本件原級留置決定前に、G教諭とAとの間で、現代国語の成績のことで話し合つていたこと、H教諭の日頃の英語Aの指導方法、指導経過などについての回答があつたことがうかがわれるが、その具体的内容については、本件全証拠によるも、これを明らかにすることができない。)、しかし、本件原級留置に関する調査当時において、人権侵犯の疑いがあるとされていたのは、本件原級留置の理由がAの教科の成績以外の事由によるものではないかとの点であつたこと、右の教務措置については、生徒に対する具体的かつ専門的な教育内容又は教育評価に関する事柄であつて、原則として学校当局の教育的裁量に委ねられているものであること、そして、前記三(1)の人権擁護機関の目的、性格に鑑みると、本件において、C補佐が前記の手続面についてほとんど調査しなかつたことをもつて、直ちにこれが著しく合理性を欠き、社会通念上相当でないものと認めることはできず、この点に関する原告の前記主張は採用することができない。

(三)  なお、原告は、C補佐としては、B及び原告に対し、本件原級留置の取消訴訟の提起及びこれについて弁護士に依頼することを助言すべきであつた旨主張する。

しかし、右(一)、(二)で説示した点に加え、室蘭支局においては、C補佐の調査結果に基づき、本件原級留置について人権侵犯の事実が認められない旨の本件決定をしたことは前記二のとおりであるところ、その判断過程において、著しく合理性を欠いたことをうかがわせるような的確な証拠がないことからすると、C補佐が本件原級留置について人権侵犯の事実が認められないものと考え、それ以上に原告らに対し、右原告主張の内容の助言をしなかつたことをもつて直ちに違法であるということはできず、原告の右主張は採用することができない。

四  以上によれば、原告の本訴請求は、その余の点について判断するまでもなく理由がないから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 磯部喬 土屋靖之 笹村將文)

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